九州全線制覇旅行記(part2)



11月13日


1.ドリームつばめ

 すぐに8番線に向かう。しかし、到着していたのは23時41分発の篠栗行きの普通であった。817系の2連であったが、かなり混雑をしていた。しかし、定刻の発車時刻が過ぎているのに、動こうとしない。篠栗線で遅れが出ているのであろうか。つばめの入線時刻が過ぎていても発車しなかった。23時50分を過ぎて、ようやく篠栗行きが発車した。発車してまもなく「ドリームつばめ」の入線案内が流れた。

到着した787系「つばめ」は、非リニューアル車であった。ビュッフェがあったので、改造車には当たらなかったようだ。「ドリーム」こそ、リニューアル車を順当しても良かったのに…。グリーン車に乗りこむ。先ほどの「レールスター」に乗ったせいか、あまり驚きがなくなっていた。レールスターが快適だったので、驚きが半減してしまったのであろうか。しかし、乗ってみるとやはり快適である。外に出て、外観をチェックする。さすがにすごいと思ってしまう。しかし、行き先表示の電気が切れていた。メンテナンスの悪さだ。グリーン車には、3人しか乗ってこなかった。しかも、一日違いで同席の客がいた。かたや、12日、もう一方は13日…。もちろん、13日の切符が正解である。敗北者は隣の席に座っていた。もし満席だったらどうなっていたのであろうか?そう考えているうちに、発車時刻が迫っていた。

0時06分、「ドリームつばめ」は発車した。つばめのメニューをチェックしてみる事に…。さすがに変貌していた。7月15日にメニューが改訂されたものだった。かなりショックを受けてしまった。ビュッフェにあるメニューは別紙となっており、種類も減っていた。ショックを受けつつ、窓の外を眺めていると、寝台特急「なは」が足止めをされていた。乗客はあまり多くないようだ。もっとも0時を過ぎているので、寝ている乗客が多いのかもしれないが…。途中、前の普通列車につかえていたのか、速度が一向に上がらず、減速運転を強いられていた。

しかし、南福岡に差し掛かると、一気にスピードがアップ。普通列車を追い越した。そうなると、今までの減速運転が嘘のように、恐ろしいほどスピードを上げた。130キロ運転をしているのであろう。鳥栖、久留米では、降りる客や乗る客が多かった。羽犬塚、瀬高では乗る客はいなかった。1時間かけて大牟田に到着。ここで、815系を目撃した。ロングシートでも一度は乗ってみたい車両である。大牟田を出ると、お休み放送が流れた。深夜帯だが、速いスピードで飛ばしていた。

1時半を過ぎると、山並みが消え、街の明かりが目立ち始めた。熊本市街である。上熊本を減速して通過。1時40分熊本駅に到着した。こんな時間なのに、乗る客が待っていたのには、やはり驚いてしまう。ここで12分停車した。運転手も交代したようだった。しかし、若い人ではなく、中年の人であった。夜間運転にはベテランの人が運転しているのであろうか?1時52分、駅の案内放送が流れて発車した。深夜時間なので、線路工事などをしているのが目立った。途中で貨物列車や上りの「ドリームつばめ」とすれ違った。いつからか、ドリームの夜行折り返しが八代では出来なくなったのだ。前回は、八代で降り返したが、もう熊本でしか出来ないのである。1時間熊本駅で待つのは、少し苦痛である。

2時14分八代に到着した。降りる客もいた。ここで、45分停車する。運転手は、駅舎の中へと消えていった。45分はさすがに長かった。なかなか寝る事が出来なかった。しばらくすると、運転手が戻ってきた。3時定刻通り発車した。気になる点は、扉を閉めるときに一度開けを再び押して、また閉じるを押しているようであった。日奈久を過ぎると、海岸線を走るのだが、暗くて何も見えなかった。40分間走行して水俣駅に到着した。ここは、すぐに発車した。

15分かけて出水駅に到着。ここで、40分も停車する。運転手が変わり、しばらくすると、貨物列車が追い越した。さすがに長編成ではなかったが、貨物に抜かれるとは…。4時36分発車した。まだ一睡もしていない。さすがにつらくなっているが、あと1時間ほどで伊集院の為、起きている事にした。阿久根、川内、串木野あたりまでは、夜の景色をボーっと眺めていた。そして、湯之元に着いたとき、降りる準備に取りかかった。そして、5時41分伊集院駅に到着した。自由席や指定席から数人が降りていた。改札へ向かうとき、鹿児島交通南薩線の跡が寂しかった。


2.鹿児島交通バス

 駅舎を出て、すぐ左に枕崎行きのバス停があった。伊集院で降りたほとんどの客といっても数人だけだが、バス停で待っていた。枕崎へ向かうようだ。さすがにマニアらしき人物は見当たらない。やはり、バスを使うのはマニアとして失格なのであろうか?バスは発車時刻になっても来なかった。さすがに南国でも寒く、早く来い、と言う感じであった。若干遅れてバスが到着した。観光型バスかと思っていたが、ただの乗合バスであった。しかも車内に入ると、暖房が入っておらず非常に寒かった。

すぐに発車した。さすがにバスの座席は狭く、快適ではなかった。最も、さきほどまでグリーン車に乗っていたから、なおさらである。まだ明るくなっておらず、どこを走っているのか分からなかった。南薩線の跡すら見えなかった。6時半頃になると、次第に明るくなってきた。途中のバス停からか、通学生が乗りこんできた。朝早くにご苦労と言う感じである。しかもたくさん乗りこんでくる。そのほとんどが男子高生であった。通常の道路ではなく、狭い路地にもバスが通る為、一体どこを走っているのだ?と思ってしまう。加世田に到着した。今まで乗っていた男子高生のほとんどが下りてしまった。加世田はバスターミナルとなっており、すごく大きかった。

しかも、鉄道在りし頃を思い出させるものがたくさん置いてあった。SLやディーゼルカー、腕木式信号など、また駅名版までも見つけた。やはり、南薩線一番の中心だったのであろう。ここでもかなりの客が乗りこんできた。加世田から先も高校生がたくさん乗りこんできた。車で追いかけてきて、停留所に止まったバスに乗りこんでくる高校生もいた。本数が少ないから大変なのであろう。ほとんどが女子高生となっていた。枕崎までこのまま大混雑するのであろうか。枕崎の手前では山越えが待っていた。本当に人がいるのか?というところに、停留所はあるし、こんな所バスが通過して良いのか?という道路まであるし、さすがに鉄道の代行バスといった感じだ。

7時を過ぎると、枕崎市内に入り始めた。この辺りに来ると、立ち客が出るようになった。かなり盛況しているようだ。始発時のときは、ガラガラでいくのであろう、と思っていたがこんなに混雑するとは考えられなかった。枕崎駅まで高校生が乗りこんでくると、次の指宿枕崎線が大混雑するのではないか?という不安が出てきた。しかし、途中の停留所でほとんど降りてしまった。結局枕崎駅まで行く客は伊集院から乗りこんだ客以外は、少なかった。7時半定刻に枕崎駅に到着した。バスから解放されたので、ホッと一安心であった。


3.指宿枕崎線

 枕崎駅はバスがたくさん並んでいた。電車の駅ではなく、バスの駅という感じである。駅舎に入ると、かなり古いつくりとなっている。しかも売店が営業をしていた。物色でもするか、と考えていると、折り返しの西鹿児島行きの普通が到着した。高校生がたくさん乗りこんでいたようだ。駅内は一気に高校生で埋め尽くされていた。

枕崎駅は、1面2線の駅になっていたが、今では1線になっていた。南薩線の跡がここにもあり、寂しかった。列車はキハ47系の2連であった。西鹿児島行きはガラガラであった。高校生も数人乗りこんでいた。この列車はワンマンではなく、車掌が乗りこんでいた。7時37分定刻に発車した。しばらくすると、トンネルに入る。それを抜けると、海が広がっていた。一駅ごとに数人ずつ乗りこんでくる。1面2線の西頴娃駅に到着。ここで、高校生が全員降りてしまった。タブレット交換をしたのかは見ていなかったが、降りる客が多かった。再びガラガラになって出発。頴娃駅を出て、しばらくすると開聞岳が見えるようになった。入野駅までははっきりと全貌をあらわしていた。天気が悪かったので、ちょっと不向きであったが、さすがに薩摩富士というだけはある。最南端の駅西大山駅を過ぎると、開聞岳は見えなくなった。8時38分山川駅に到着した。

ここで、車掌が降り、運転手が交代した。ここからワンマン運転になると言う事であった。ふつうは、逆のような感じがするのだが…。ここは2面2線で最南端の有人駅である。山川を出ると、海が見え出した。鹿児島湾であるが、すぐにトンネルに入り、山の景色となってしまった。わずか6分で指宿駅に到着。こちらの方が駅構内はすごく広く、2面3線の駅となっていた。この駅で大量乗車があった。一気に席はなくなってしまう。温泉帰りこんなに混むのであろうか?もう一本後だと、山川始発だからそれに乗れば良いのに…。と言ってやりたかった。指宿から先は、海沿いを走る事が多くなった。車内は混雑する一方であった。

坂之上に来ると、鹿児島市内の町並みが一望できた。まさに名前の通りだ。ここから、特別に車掌が乗りこんできて、精算にあたっていた。谷山駅を出て、すぐのところで、鹿児島交通の谷山電停がみえた。車掌も西鹿児島まで乗ることはなく、途中駅の宇宿で降りていった。この辺りから下車する乗客も多くなってきた。南鹿児島、郡元では、下車する客が大勢並び出した。しかし、この道中は、指宿までは楽だったのだが、そこから先は、非常につらかった。早く、「つばめ」に乗りたいと何度も思っていたか…。9時59分、やっと西鹿児島駅に到着した。2連なのに、降りる客の多い事多い事…。


4.「つばめ10号」

 西鹿児島駅の駅舎の頭上には、九州新幹線のホームがかなり出来ていた。これが完成された暁には、「つばめ」がここから消えるのである。工事状況を熱心に見ていると、「つばめ」が入線してきた。客室乗務員の挨拶がすみ、車内へ入る。これが「つばめ」の魅力である。すぐにグリーン車に入る。今回は利用客が多いようだ。ガラガラではなかった。10時25分定刻通り発車した。発車してしばらくすると、客室乗務員から切符拝見とドリンクオーダーと弁当の注文を聞きに来た。弁当はビュッフェを利用する為、見送り、飲料だけを頼んだ。

川内を過ぎてから、ビュッフェに向かう事にした。さすがに、昼飯時なのか、利用客が多かった。薩摩高城を過ぎてから、東シナ海が一望出来るようになった。ここで、ビュッフェのメニューを見て、朝食とした。こういうときに、ビュッフェはありがたいものである。阿久根の手前で海が見えなくなった。このようなときに、ビュッフェで頼んだものを急いでかき込む。このようなスペースがあると気分転換にもなり、最高の気分である。ビュッフェ廃止が近いのか?滞在する客が多く、お持ち帰りする客が少なかった。出水を出てからの八代海もきれいであった。その間に、弁当が品切れとなっており、熊本駅で積み込むと言う事を聞いた。そこで、海が見えなくなる八代でグリーン車へ戻り、そのついでに客室乗務員に駅弁を注文した。またビュッフェによる事にした。

12時58分熊本に到着した。ここで、助っ人として一人客室乗務員が乗りこんできた。頼んだものが来るまでの間、外を眺めていると、小さな女の子が電車酔いをしたらしく、吐いていた。酔ってしまっては、せっかく快適な「つばめ」でも台無しになってしまう。品物をもらい、グリーン車に戻ろうとするが、スピードが八代から速くなったため、さすがに激しく揺れていた。グリーン車に戻ると、先ほどと客層が変わっていた。今回のグリーン車は入れ替わりが激しいようだ。さすがに熊本から博多までは時間があっという間に過ぎた。14時15分博多に到着した。


5.「みどり15号」

 すでに次に乗る、「みどり」は、停車していた。783系のハイパーサルーンである。今回は、改造車タイプの方のグリーン席であった。さすがに真新しく、新車特有の匂いがした。グリーン席は誰も乗っていなかった。信号停止の為、少し遅れてから発車した。ハイパーサルーンには、客室乗務員がなく、車販穣が乗っていた。しかし、座席配置がダメであった。窓枠の位置に座席があり、改造車の悲しみであった。そのためガラガラだから、席を移動して邪魔されない席の座った。二日市、鳥栖と乗りこむ客はいなかった。長崎本線に入り、山がだんだんと近づいてきているようだった。佐賀には15時01分に到着した。しかし、全体的に乗りこんでいる客が少ないようだ。ここで、貸し切りではなくなり、一人乗りこんできた。

肥前山口を過ぎると、今まで速かったスピードが急に遅くなってきた。130キロ対応の路線になっていないのであろう。しかも単線になった。15時25分武雄温泉に到着。ここから、山間部に入るようになった。そして、有田、早岐と停車し、方向転換を行い、佐世保には、16時05分に到着した。佐世保駅は、一新されていた。つい最近完成したばかりで、日本最西端の駅の案内があった。駅周辺には大型ショッピングセンターなどがあり、一つの町としての機能があった。しかもたくさんの人が多く、にぎわっていた。過去の駅舎を想像すると、ものすごい変貌ぶりである。すでに「シーボルト」が停車していた。


6.「シーボルト3号」

 駅を少し散策してから、改札を抜けて、「シーボルト」の乗り場へいく。先頭車が指定席となっていた。もちろん全く乗客はいなかった。自由席には数人が乗りこんでいるようだが、混雑はしていなかった。すぐに展望スペースを行くことにした。さすがに名鉄のパノラマカーと同じだ。前面展望は最高である。列車は早岐から大村線に入り、16時55分ハウステンボス駅に到着した。ここで、たくさん乗りこんできた。ハウステンボスの帰りであろう。指定席にも1組が乗り込んできた。発車してトンネルの手前ですでに架線は、なくなっていた。シーボルトもあまり速度を出していなかった。そのため、ゆっくりと前面展望を楽しむ事が出来た。

17時05分川棚駅に到着した。ここから先は、大村湾がはっきりと見えるようになった。天気が曇りとなっており、夕日が望めなかったが、天気が良ければ最高のロケーションだっただけに、悔やまれる所である。千綿駅を通過した。目の前が海である。ここも海に近いベスト駅に入るのであろう。海岸線は松原駅まで続いていた。竹松駅では、キハ66系と行き違う。向こうはさすがに大混雑をしていた。17時31分大村駅に到着した。ここから自由席に乗り込む客が並んでいた。すぐに発車する。17時41分諌早駅に到着した。ここからも乗ってくる客がいた。降りてから駅前へ出ることにした。

諌早駅周りには、デパートなど飲食店がたくさんあり、食には困らない駅でもあった。デパートなどで時間をつぶすことにした。発車時刻が迫ってきた為、駅の待合室で待つ事に。長崎線もだいぶ車両が変わったみたいだ。817系、キハ66やキハ200など、豊富な種類があることに、やはり驚いてしまう。


7.長崎非電化路線

 18時22分長崎行きの普通列車が到着した。キハ66系であった。筑豊線で活躍をしていた車両だが、こんな所で会えるとは思わなかった。転換クロスシートを取りたかったのだが、混雑していたので、ロングシート部分しか取れなかった。さすがに、スピードは遅かった。西諌早、喜々津ではたくさんの下車客があるのだが、乗ってくる乗客も多かった。非電化路線の旧線に入り、海が見えるはずなのだが、暗かったので、はっきりと見ることが出来なかった。18時50分、本川内に到着した。ここは、つい最近までスイッチバックの駅だったところだった。今では遺構が残っていた。旧線にはいると、乗りこんでくる客は少なかった。逆に降りていく客が多くなった。

18時55分、旧線最大の駅、長与に到着した。ここで5分停車した。かなりの町になっているようだ。反対列車のキハ58系が到着してから発車となった。キハ200に乗りたかったのだが、乗れなくて悔しかった。19時00分出発した。山がなくなり、町並みをぬって走る。西浦上を発車した。もう完璧に長崎市街である。すぐに新線が寄り添ってきた。しばらく並行して、19時13分浦上に到着した。これで、JR九州の路線は全部制覇した。喜んでいると、すぐに終点の長崎駅に到着した。長崎駅も見違えるほど大きくなっており、真新しかった。今夜は長崎での宿となった。






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